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重陽神事(上賀茂神社)

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9月9日は重陽の節句。
重陽の節句は、端午の節句などと並ぶ五節句の一つで、古来よりこの日には宮中で菊花の宴が行われました。現在は案外知られていない行事なのですが、季節のかわりめに際して延命や厄除けを祈願する大切な節目の日でした。

天皇以下、貴族たちが紫宸殿に集まり、歌を詠んだあと、菊酒を飲んだりしました。菊は古くから延寿に効果があるといわれ、花びらをいれた菊酒や、菊の香りを染み込ませた菊綿で体を撫でたりしたそうです。平安時代に始まったこの宮廷行事が、のちに普及していろいろな行事や催しが行われるようになりました。上賀茂神社の重陽神事もそのうちの一つです。

神事そのものはショーとしてではなく、正式な神事として本殿内部で行われるため、カメラ撮影はもちろんだめで、内部もはっきりとは見ることができませんが、菊の花に綿を覆い被せた「菊の被綿(きせわた)」を神饌とともに神前にお供えをします。

それよりも集まった人たちの、目当てはその後の烏相撲です。本殿前には特設土俵が作られ、周囲にはテレビ局のスタッフ、プロ、アマのカメラマン、見物客など、かなりの人が陣取ります。

烏帽子、白張り姿の刀禰が、弓矢をもってピョンピョンと横飛びをしながら、土俵前の盛砂の前に出て、「カーカーカー」、「コーコーコー」と烏の鳴き真似をしたあと、東西にわかれた、まわし姿の小学生十数名が相撲を取ります。

元気いっぱいに相撲を取る児童たちに、見物客たちの大きな声援の中が飛び、見ていてとてもほほえましい行事です。

平安時代には、歴代の皇女(天皇の娘)が斎王(さいおう)として、この神社にお仕えになっており、烏相撲もご覧になったと伝えられています。斎王の制度が鎌倉時代に絶えてしまった後も、斎王のご覧になる席だけはきちんとしつらえて神事を行ってきました。平成3年には、葵祭の斎王代がこのお役をおつとめになることになって、実に800年ぶりに陪覧が復興しました。

ただ、暦の上では秋といっても、まだまだ残暑厳しく、斎王代さまにとってはなかなかの厳しいご任務です。団扇などで顔を扇ぐことも許されず、正装のまま長時間じっとしていなければならないのですから。


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